ただただ悔しい

今日は少し長くなる気がする。

回路がなぜか燃えてしまう原因について解決したのだ。

急に何を言っているかわからないと思うが、いままでその回路がなぜか電源を入れて駆動させると燃えてしまうという現象に悩まされていたのだ。

その究明のために自分は色々実験をしてみたのだが何をしてみてもなかなか治らない。

しかし、それが今日解明されてしまったのだ。

自分ではなく先輩にだ。

その先輩だが、既に部活はほぼやめている状態で、どっちかって言うとOBみたいな立ち位置で今日はそのアドバイスに来てくれたのだ。

今までの実験結果や、使っている部品の説明などをした結果自分の考えていた予想と違う予想が出てきた。

それを試してみれば、なんと動いてしまったのだ。

何度かちょっとした耐久試験をしてみても燃えるはおろか発熱すらしない。

よってこの問題すぐに解決してしまったのだ。

・・・自分は今日までに色々検証してみたが約一ヶ月以上は経っている。

だから、自分が解明できなかったことにものすごくいらだっていて、ものすごく悔しいのだ。

・・・みっともなかったが泣いてしまった。

自分の今までの苦労や努力はなんだったのか、なぜ自分はこの答えにたどり着けなかったのかが本当に理解ができなくなり、つらくなったのだ。

 

最近良く思うのが、自分に理系は向いてないのでは、ということだ。

今回のことではっきりとわかったのが、自分は出てきた結果をそのまま純粋に捉えることができない。

たとえば、AということをやってBという結果が出たとする。

それをA=Bのようにとらえることができないのだ。

「もしかしたらA=Cかも、A=Bは間違いかも・・・」そんなことばっかり考えてしまう。

結果をしっかり直視できないのだろうか。

それとも自分の結果に自身を持てないからなのだろうか。

なぜ、結果をしっかり考察できないのか、よくわからない。

もしかしたら、ただ単純に忘れているだけなのかもしれない。

ただ、このことが自分にとって苛立ちしか生まないような現象であることはよく理解できる。

だから、結構一人でやろうとしてしまい、その結果わからなくなり、誰かを頼ってしまう。

そして、その誰かに解決されてしまうとまた苛立ちが生まれ、もっと強くなりたいと願って一人で頑張ってみる。

・・・間違っているのはわかっている、でもこれしか考えられる方法が無いのだ。

どうしたら自分は強くなれるのだろう。

鼻から誰かを頼っていては何も成長できない。

しかし、自分では解決できない問題も沢山ある。

今まであまり人を頼らず生きてきたからだろうか、自分にはできるという自信があって一人でやろうとする癖がある。

そして何より人への頼り方がわからない。

助けて、といえばいいのだろうか。

馬鹿にされないだろうか、迷惑をかけないだろうか。

色々な考えが自分の頭をよぎり、結局先延ばしにしてしまう。

そして、後になって問題として出てきてしまう。

もっと自分を変えたい、そう思って最近は何度か論理的思考をしてみるように心がけてみた。

ゲームや勉強方法、ためしにためしてみたが、結果はどれもいまいちなのだ。

だから、自分にはこの思考をするのが苦手なのかもしれない。

だから、理系には向いてないのかもしれない、そう思ってしまうのだ。

 

どうしたらいいのだろう。

ただ、今日あったことをしっかり書き留めておこうと思う。

この先忘れないように、もし同じようなことがあってもこれをかてにして生きれるように。

しかし、ひとつ問題がある。

本当に同じような出来事に遭遇したとき、この経験を生かして乗り越えられるだろうか、またはこの経験を結びつけることができるだろうか。

自分は過去にあったことを思い出したりするのが結構苦手だ。

(・・・これも結果を結果としてみることができない理由かもしれない)

だから過ちを繰り返すことが無いだろうか。

それだけが心配だ。